radikoと千田正穂と冨所正一

~新潟ローカルな話~

ラジオのサイマル放送としてradikoが配信されているが、最近これを録音するツールがあることを知った。

十数年前からとあるFM番組を録音してクルマで聞いているのだが、クルマの再生機器の都合で、カセットテープに始まり、MDと変遷してきた。そのMDプレーヤー付きのクルマとの付き合いも10年を超え、そろそろ買い換えの話も出ているこの頃。買い換えたら、最近のクルマではiPodはじめとする音楽プレーヤーとの連携や、CDに焼いた音楽ファイルの再生が主体となるので、MDなどと言ってはいられない。となると、ラジオ放送をなんとかファイルに落とす必要があるわけで、放送を受信してファイルに落としてくれるラジオサーバーのようなものかな、などとぼんやり考えてはいた。

一方、radikoのサービスについては知っていたので、これを録音する方法があればと思っていたのだが、PCをいつも起動したままにしておくわけにも行かず、難しいだろうなと、こっちもぼんやりとそんなことを考えていた。

先日、その録音したメディアを貸し借りしていた人から、radikoを録音できるソフトが出ていて、しかもPCのスリープ状態からの自動起動も出来るらしいと言う話を聞いて試してみた。その名もradika。

スリープ状態の制御と言っても、いろいろなケースが考えられる。バックアップ電源を生かしてメモリを保持する、いわゆるスタンバイ状態や、HDDに一時的に作業状態を退避して電源を落とす休止状態などがあり、どこまで対応するのかなど謎は多かったが、とりあえずインストールして使ってみた。

いや、良く出来ている。休止状態からでもちゃんと目覚めて、録音が終わると元の休止状態に戻ってくれる。ノートPCのディスプレイを閉じた状態でも大丈夫なので、HDDのアクセスランプを見なければ、録音されていること自体気づかないほどだ。しかも、普通にPCを使うために自分でスリープ状態から起動させたときは、その間に録音が始まって終わるイベントが発生しても、それによって勝手にスリープ状態にならないような配慮もあって、なかなか良い。

これでAACファイルになるので、iPodに入れて持ち出すことが出来る。まぁ、しかし、MDプレーヤーが付いている今のクルマでは操作性も含めてMDの方が便利なので、近い将来の方法としてとっておくとして、それまで別のラジオ番組の録音にでも使ってみよう。

ところで、このradikaでは番組表が表示できるのだが、新聞のラテ欄では省略されているような細かい内容も表示されて、結構おもしろい。興味半分で普段見ることなど殆ど無いAM放送の番組表をつらつら眺めていたときに、懐かしい人の名前を見つけた。千田正穂。

文化放送の日曜昼に「千田正穂のありがとう!」と言う番組が放送されているようで、名前が番組名になっていなければ気づかなかったと思う。この人、NHK出身のフリーアナウンサーで、紅白歌合戦の司会をこなしたこともある切れ者(だと、初めて知った頃から思っていた)。

懐かしいと思うのはもちろん紅白ではない。紅白司会よりずっと前、1976年頃NHK新潟に赴任していたことがあり、NHK FMの新潟ローカルでリクエストアワーという番組を担当。当時の高校生たちは結構聴いてた人が多かった。私もその一人で、彼の名前をはじめとして当時の事は今でも覚えている。千田正穂氏はそれまでのNHKのアナウンサーとはひと味もふた味も違ったテイストで我々を惹きつけていたのだ。

高校に入って小さなステレオコンポを手に入れ、当然FMチューナーも付いていたのだが、専用HiFiチューナーをもってしても、当時まともに受信できたのは唯一NHK 新潟FMだけだった。普段は中央製作?の番組をネットして流しているのだが、リクエストアワーはローカル製作で、千田氏が担当だったのだ。

群馬県との県境に近いところに住んでいたので、アンテナを調節するとたまにFM東京(Tokyo FMの当時の名称)がひどい雑音に埋もれながら漏れ聞こえることがあった。そんな環境だったこともあってか、NHKとは明らかに違う民放FMのテイストにひたすらあこがれていたのだが、千田氏の放送はお堅いNHK FMの中にあって民放的とでも言うべきか、とにかく当時の高校生たちの心を掴んでいたのだと思う。

キャンディーズが全盛の時代で、リクエストアワーでは「キャンディーズをなめる会」なる、ふざけたネーミングのファンクラブもどきを千田氏の旗振りで勝手に結成したりしていたのを覚えている。正確には番組内でリスナーとの掛け合いから生まれたたジョークだったかも知れないが、それにしても他のNHK FMの番組では考えられないことで、今にして思えば当時そう言う放送を容認していたNHK新潟放送局は懐が深かったと言う事だったのだろうか。

懐かしくなって千田氏の名前で検索していたら、さらに懐かしい名前を発見。冨所正一。

当時リクエストアワーを聴いていた新潟の人なら絶対に覚えているはずの名前。夭折した地元のシンガーソングライター。もちろんメジャーで活躍したわけではないので、広くは知られていない筈だが、新潟弁丸出しのその独特な歌と、謎の死を遂げたこと、そして彼に注目して公開放送などでもライブの機会を与えていた千田氏がその死を知って発した言葉など、70年代に新潟で青春時代を過ごした人にとっては忘れられない人であり、忘れられない事件だ。

中でも代表曲「おめぇまだ春らかや」は良く覚えている。検索したらYouTubeにアップされているようで、久しぶりに聴くことが出来た。終盤の歌詞、「おめぇまだ生きてたかや、人はへぇ、死んだてがんに。おめぇまだ生きてたかや、やっと秋になったもんな…」(*1)というくだりが、あまりにも強烈だ。

自殺だとされる彼の死の暗喩ともとれるような感じで、訃報をそのFMラジオで聞いたときは、みなそんなことを思ったのだった。しかし、人生の終焉がそんなに遠い未来ではなさそうだと何となく感じ始めたこの歳になって改めて聴いて思うのは、若くても年を重ねても、結局人は先を行く得体の知れない「何か」への焦りを抱え続けているものなのかも知れないと言うこと。行き着くところが死であったとしても…。当時彼が置かれていた境遇に対する痛烈な皮肉やアンチテーゼだとも思えるが、実はそう言うことを言い当てていたのかも知れない。

他にも「農業高校」「通信簿」など、懐かしい曲がいくつか上がっている。

そして、彼のことを調べたブログ記事(といっても、既に10年以上も前の記事だが)もあって、改めて当時の事を思い出せたりもした。このブログ主の方も同世代で、私よりずっと熱心にリクエストアワーを聴いていたようだ。

冨所氏の件も、千田氏のリクエストアワーがあってこその事だったと信じている。まさか、リクエストアワーで取り上げられて、新潟ローカルとは言え有名になったことが謎の死の遠因だとは思わないが、我々の記憶に刻まれる出来事になったのは間違いなく千田氏の番組が関係している。そう言う意味では千田氏が新潟に及ぼした影響は決して小さくはなかったのだ。

と言う事で、radikoから図らずも懐かしい記憶をたどることが出来た。千田氏も覚えているだろうか、70年代の新潟に自ら広げたさざ波のような出来事を。

(*1)新潟弁が分からない人に読んでいただいたときのために、一応標準語訳を書いておく。新潟人にしてみれば、対訳などなくてもニュアンスは分かるだろうと思えるのだが、東京人のウチの相棒にとっては殆ど意味不明なんだそうだ。とは言え、私の地元とは若干用法が違うかも知れないので、誤訳によって起こるかも知れない、いかなる不都合も担保できない…。

「おめぇまだ生きてたかや」→「あなたまだ生きてたんですか」

「人はへぇ死んだてがんに」→「人はもう死んだというのに」

 

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Olympus XA

1月にアメリカに行く飛行機の中でフジテレビのCSで放送された番組「ばら・す」を観た。ビデオプログラムとして映画以外にいろいろ選べるのだが、公開前の映画をやっていたりするので普段は映画ばかり見ていて、ビデオプログラムのコンテンツさえろくに見こともなかった。今回も新作映画をやっていたのだが、興味のあるものが殆どなかったので、ふとビデオプログラムの内容を見てみた。すると…、

「ライカM3をばら・す」と言うタイトルが目にとまった。文字通りバラバラにばらす一部始終を解説付きで観させるというもの。ばらすのは浅草にある有名なクラシックカメラ店早田カメラ店の店主。面白かった。行きに2度観たにもかかわらず、帰りにももう一度観たほど。

レンジファインダーや巻き上げクラッチバネなど、知ってはいても実物は見たことがなかったので、すべてにワクワクさせられた。こんなカメラが50年以上前に造られていたとは。歴史的な名機であることを改めて思い知らされた。いろいろばらしているこの番組だが、いくつかはDVD化されているようで、M3の回も出ているようだ。

精巧な造りのM3のレンジファインダーだが、そう言えば所有しているカメラの中で唯一レンジファインダー式のものがあったことを思い出した。Olympus XA。防湿庫に放り込んだまま何年もいじっていなかったものを引っ張り出してみた。

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1979年発売のコンパクトカメラだが、ハーフサイズではなく35mmフルサイズカメラだ。発売直後に手に入れたのではなく、たしか1987年頃に初めて海外出張に行くにあたって、カメラを持ち出そうと近所のディスカウントショップで安売りしていたのを専用ストロボA11とセットで買ったのだったと思う。1987年と言えばXA4さえ発売されて久しい時期。何故初代XAが新品のままあったのか、いまだに謎だ。

写真は高校時代から興味があったのだが、当時はお金もなく、本当は一眼レフがほしかったものの、あきらめてそれもディスカウントでXAを買うことになったのだ。XA自体にそれほど関心はなかったのだが、学生時代の友人がOMを使っていて、Olympusに若干感化されていた頃だったので、安さに惹かれて思わずと言った感じだったと思う。いくらで買ったのか正確には覚えていないが、確かほとんど投げ売り状態だったはず。いまにして思えば掘り出し物だったわけだ。

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そんなわけで久しぶりに触ったXAだったが、ファインダー内の露出計の目盛りが消えかけている以外に特に変わったところもなし。フォーカス連動のレンジファインダーもしっかり機能しており、疑似M3体験気分に浸れたりして。

Web上でスペックを見ると、レンズは5群6枚のF-Zuiko 35mm F2.8と言う事で、いわば高級志向。それを意識させない佇まいから、逆に今までちゃんとした写真を撮ってやれなかったかも知れないと思わせられたりもする。

露出は絞り優先のAEなので、コンデジと言うより普通に5D2で撮る感覚と同じ。露出計はシャッタースピードを示すアナログ針式で、5D2などより寧ろ直感的に分かりやすいかも知れない。

専用ストロボA11との連携がまた凝っている。XA本体の左側にネジで固定することで、デザ

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インの統一された一体型ストロボのようになる。単体では機能せず、本体に装着した状態で絞りのレバーを一番上にすると、A11のネオンランプが飛び出すとともに電源が入ってチャージが始まるというギミックになっている。使い終わったらネオンランプを押し込むことで電源が切れ、同時にカメラ側の絞りレバーがf2.8に戻る。ネオンランプの前の部分にOlympusのロゴ入りのアルミ銘板が付いていたのだが、無くなってしまっている。

レンズの若干の出っ張りをすっぽりとバリアで覆って収納する構造になっていて、使わないときはコロンと丸まってコンパクトになる。シャツのポケットに入れ て持ち歩くこともでき、シャッターチャンスを逃さないという使い勝手は、現代のコンデジと何ら変わらない。しかしそれを凝ったレンズ、レンジファインダー、絞り優先AE、35mmフルサイズなど妥協しないスペックで実現しているところにこのカメラの設計思想である「最高機能をいつでもどこでも」があったのだろう。

M3とは時代も構造も違うが、こちらも名機として知られたカメラ。いまだに所有していることがちょっとだけ自慢だったりする。なかなか、フィルムでの撮影は腰が重いこの頃だが、フィルム自体がなくなってしまう前にちゃんと使ってやらねばと、機内で観たM3のばらしから思わぬ方へ関心が移った今年の冬だ。

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夏に恋する女たち

と言うドラマがストリーミング配信されたので観た。

http://tod.tbs.co.jp/item/2028/

Tbsod

1983年製作のTBSドラマで、あの「ふぞろいの林檎たち」の後番組として放送されたものだ。などと…、実はそんなことはすっかり忘れていて、Wikiで検索したらそう書いてあった。当時仕事を始めて間もない頃で、テレビドラマに興味があったわけではなかったのだが、ふぞろいの~があまりにも話題になっていたので、何となく観ていて、たぶん何となく次番組も観てしまったという程度だったはず。

しかし、主題歌だった大貫妙子の同名曲と、六本木を舞台にしたオトナの話として何故か記憶に残っていた。ストーリーは殆ど覚えていなかったが、萬田久子演じるバツイチ女がビールの空き缶を窓から投げるシーンと、名取裕子の新進イラストレータがマスクをしてエアブラシを使うシーン、頭にカーラーを付けた原田芳雄が飛び出してくるシーンを良く覚えていた。他にも、田村正和、津川雅彦、梓みちよ、美保純と、そうそうたるキャストが出演していた。いつか再放送がないかとずっと思っていたのだが、TBSの再放送情報を常にワッチしているわけでもなく。もしかしたら放送されたのかも知れないが、観る機会がないままになっていた。最近ネットに情報があふれるようになって、動画がどこかにアップされていないかなどとも思っていたが、普通に考えたらそれも無理な話で。

昨年(2011年)の7月に主演の一人だった原田芳雄が亡くなったのだが、その追悼かどうかTBSオンデマンドでストリーミング配信が始まった。配信期間は一年間くらいと言う事で、全9話なので時間のあるときにと思っていたらあっという間に半年経ってしまったので、この正月に観てみた。

およそ30年前のドラマでトレンディドラマとか言うブームの前の作品。前に映画ラストコンサートを30数年ぶりに観た話を書いたが、あのときと同じような感覚だった。当時すごく感情移入させられたはずなのだが、現代の感覚からするとかなりずれているというか…。ラストコンサートと同じく、テーマ曲にノスタルジーを感じるのは変わらないのだが。

それにしても、今時のドラマではあり得ないような強引な展開に唖然とする場面が多かった。男女の感情の機微やうつろいをテーマにしているにしては、ストレートな表現や一話飛ばしてしまったかと思ってしまうような進行が目立つ。えっ、そんな重い話がもう解決したの?と言うような。質が落ちたなどと言われる最近のドラマも、そう言う意味ではストーリーの展開というか、バックグラウンドの作り込みというか、この作品と比較すると良く出来ている…進化しているのかも知れないと、逆に思ってしまった。

台詞回しもどことなくぎこちない。芝居なのだから仕方ない部分もあるだろうが、今の感覚では演出ではなさそうな感じがして、違和感たっぷりなのだ。特に言葉尻と言うか語調と言うか、その間柄でその言い方はしないだろう的な。その割には間違いなく役者が台詞を噛んだと思われる部分がそのままになっていたりする。よくバラエティ番組でドラマのNG集を放映するが、現代なら間違いなくNGでリテイクになると思われるような場面が何か所も使われていた。ある意味日常会話で普通にありそうな光景を再現したと言えなくもないが、これとて演出とは思えない。

六本木のマンションで当時最先端を行く都会の生活が舞台なわけで、そこに住む人たちはかなりの高収入であることが前提。だが、マンションの内装や調度品なども現代の感覚からは貧相な感じがしてしまう。これはまぁ、仕方ないことなのだが、当時それがそう見えていたのかと思うと、幾分ショックでもあったりする。テレビがブラウン管なのは当たり前としても、サイズはせいぜい20インチ程度か。バスルームはユニットバスでトイレが浴槽の隣にあるタイプ。キッチンとリビングを隔てる扉はないが、仕切り部分の天井はノスタルジックなアーチ型になっていたりする。決定的なのは、屋上の物干しで洗濯物を干したり、取り込んだ洗濯物をたたんだりするシーン。現代でこの生活レベルを設定するなら、下着もクリーニングに出している感覚なのだが、妙にこのあたりに生活感が滲んでいて可笑しい。気鋭の写真家田村正和に真っ白な靴下をたたませるなんて。

それから、田村正和が乗るクルマは右ハンドルの白いAudi 80。当然ドアミラー仕様だが、1983年と言えば当時の運輸省が「外圧」に負けてとうとうドアミラーを認可した記念すべき年だったはず。その少し前に発売になったジウジアーロデザインのいすゞピアッツァのフェンダーミラーが、そのデザインを台無しにしていると言って話題になった事件があってまもなくだったので、クルマ好きにとって特別な年でもあった。劇中六本木界隈の道路の風景が頻繁に登場するが、まださすがにみなフェンダーミラー車だった。それにしてもタクシーの多さはバブル前夜を象徴しているようだった。

舞台になったマンションは今でも存在するようで、ネットの情報によると国立新美術館のすぐ隣のビルらしい。ストリートビューで見ると、一階のテナントは変わっているが、外観はほ

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ぼ当時のままのようだ。劇中、梓みちよが救急車で運ばれるシーンがあるのだが、119番に連絡する名取裕子が伝えている六本木の住所で検索すると、そのままそのマンションが出てくる。今のように簡単に住所から場所を特定できる時代ではなかったので、あまり気を遣っていなかったのかも知れないが、わざわざ台本に実在の住所を書くあたり、何とものんびりした時代だったわけだ。

と、いろいろ難癖付けているが、面白かった。独身時代、実際にマンションの同じ階に住む者同士でこんなつきあいが出来たら楽しいだろうなと。最終回で田村正和が写真集を出す話をするシーンがあるが、それが何ともオトナの会話なのだ。これは今見ても決して色褪せてはいない。展開が速い事が逆に暗喩的な部分を残しているようにも思える。これが演出としての狙いであったなら、前言撤回だ。とても最近のドラマでは太刀打ちできないような造りに見えてくる。写真集のシーンでバックに流れていたのはGrover Washington, Jr.のIn The Name of Loveと渋いところを押さえていたりして、ワタシ的にはツボをおさえられた感じだ。そう言えば、最近のドラマでは挿入曲もタイアップしたオリジナルが使われることが多く、既存の曲を使う事はあまりないように感じられるが、何故だろう。

カメラをいじるようになって、何故かクルマで信号待ちをしている時に交差点の周りの写真を撮ることに憧れを持っている事は分かっていた。最終回のラスト、六本木交差点で信号待ちをするAudiのサンルーフから田村正和が顔を出し、モータードライブ付きのNikon?で周囲の写真をぐるっと連射するシーンがあった。このドラマのラストシーンだったことは覚えていなかったのだが、ずっと影響を受けていた事を思い知らされた…。

家ではよくそんな古いもの見ていられるなと呆れられているが、いろいろ思い出したり思わせられたり、楽しかった。若い頃には出来ない遊びか(笑)。

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エンジントラブル

その富山行きの飛行機。

ゲートに行ってみるとオーバーブッキングで遅い便への振り替え募集中だった。富山便はいつも満席だ。何年かすると新幹線が開通するらしいが、そうなるとだいぶ様子が変わるのだろうか。東京からだとトータルではやはり飛行機の方が速そうだが、料金も含めて比較するとどうなのだろうか。飛行機好きとしては、なんだかんだ飛行機で行く理由が残っていてほしいと秘かに思っていたりするが…。

そんなわけで乗り込んで定刻通りプッシュバック。と思ったら機長からアナウンス。左エンジンにトラブルがあったので、一旦ゲートに戻ると。また、かよ。割と飛行機に乗る機会は多い方だが、それにしてもトラブルに遭遇する確率は高い気がする。社内でももっと頻繁に乗っている人がいるが、あまりそう言う話は聞かないし。私と飛行機に乗ると何かトラブルに巻き込まれると言うジンクスがまた強化されたかもしれない…。

ゲートに戻ってドアを開けると言うことだったので、前にフランクフルト便で経験したように当然一旦降機するのだと思って、お金もらって午後の便にした人の方が先に着くんじゃないかなどと余計なことを考えていたらそうでなかった。別に降機する必要はなく、ドアが開いたら携帯電話始め電波を発する機器の使用が許可されるため、遅延で連絡を取らなければならない人は電話OKと言うことらしい。

そう言えば、以前日本のエアラインは搭乗したら携帯は使うなと言っていたはずだが、変わったらしい。調べたらどうやら今年の4月1日からの変更のもよう。外国のエアラインではアナウンスがあるまでシートで携帯を使わせていたので、何だか矛盾しているなと思っていたのだが、漸く合わせてきたということか?もっとも、外国ではドアの開閉がその境目であるとは明確に言っていないような気がするが、そこは日本のエアラインのキッチリしたところだろうか。

もっともゲートに戻るのは何もドアを開けて携帯を使わせるためではなく、エプロンでは修理などの作業ができないからだとは思うが。

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ゲートに戻ってドアが開いたころ、早速整備さん登場。エンジンの前部両側のフードをパカッと開けて状況確認をしているようだった。続く機長のアナウンスによると、逆噴射に関するアラートが出たためのトラブルだそうで、上空で逆噴射しないように対策し、十分な安全確認が取れたら出発するとのこと。聞き間違いでなければそんな内容だった。上空で逆噴射??30年くらい前の羽田沖JAL機墜落の事故を思い出したのは私だけではあるまい…。と言う事は、着陸時も左エンジンは逆噴射しないのか??

謎は残るが、1時間ほどして作業完了し、出発とあいなった。逆噴射に関する事故は、例のJAL機の人為的ミス以外にB737、757、767のエンジンに関する根本的なトラブルはあったらしく、実際90年代にラウダ航空の767が墜落事故を起こしているそうだ。当然それ以降対策が取られているが、今回のトラブルはそれに関連するものだったのかも知れない。機体は767-300だったし。

富山空港へのアプローチは海側からの進入後、滑走路手前の住宅地上空でかなりのバンクをかけていた。着陸直前の低空での左旋回だったので、住宅の屋根が真下に見え、思わず昔経験したグライダーでの急バンクを思い出して一人でゾクゾクしていた…。あれだけ低空のバンクなら、地上から見上げた写真を撮ってみたいなどとも。

着陸とともに左エンジンを見たが、私の席からは逆噴射しているのかどうかは分からなかった。当たり前だが、何事もなかったように到着。トラブルはあっても、1時間程度の遅れですみ、安全に到着して富山ブラックを食べる余裕もあったから、すべてよし。

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富山ブラック

ここ何年か毎年この時期に富山市に行く用事があって、今年も行ってきた。飛行機で昼前に着き、昼食後取引先に訪問、夜はそこの人と会食というのがお決まりのコースだ。その日東京は7℃までしか気温が上がらない予報が出ていたが、富山も寒かった。風に当たると冬の北陸であることが嫌でも実感出来る。

寒いこともあって毎回昼食はラーメンでもと言う事になるのだが、富山と言えば富山ブラック。最初の頃は駅前のビルに入っている「麺屋いろは」で食べていた。ここのは今年の東京ラーメンショーで3年連続売り上げ一位を記録したそうだ。確かに黒いスープはインパクトがあったが、万人受けする味で逆に強い印象は持っていなかった。

別にラーメン通でもないので、そもそも富山ブラックが何なのかもよく分かっていなかったのだが、たまたま読んだガイドブックにその由来が載っていて、その元祖の系列店が駅前にあることが分かったので、去年はその「大喜」に行ってみた。が、これがまた…。黒々したスープは殆ど醤油そのもののような感じ、太めの麺に刻んだチャーシューとメンマ、ざく切りのネギに黒胡椒が薬味。一口食べて驚いた。しょっぱいと言うか痛辛いというか。最初は何かの間違いかと思った。

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もともとは肉体労働をする人がご飯のおかずとして食べることを想定して考えられたもので、塩気が強いという由来書きを読んでいなければ、きっと怒り出す人もいるだろう。それくらい衝撃的な味だった。「普通」ならリピーターはあり得ないだろうし、この店がラーメンショーに出ても、評価は低いだろう。いや、話題性で全員一見さんなら結構上位に行くかも知れない。有名人の色紙がたくさん飾ってあったが、だからと言って皆が気に入ったかどうかは謎だ。

夜の会食の時に地元の人に聞いてみると、最初は驚くが何度か食べるうちにやみつきになるのだそうだ。それじゃあシメのラーメンとして再チャレンジしようと言うことになって再び行ってみるとすでに暖簾が出ていなかった。

それから一年。リベンジと言うことで懲りもせずに昼食は「大喜」で。一年のブランクのせいか、あの衝撃に再び襲われた。良く見ると、地元の人は皆ご飯を注文している。さすがにそこまでは食べられそうもないのでやめておいたが、おかずとして食べると若干マイルドに感じるのだそうだ。

そして、夜。今年こそはと酒席はそこそこに切り上げて全員でシメの「大喜」に。待望?の一日2食が実現した。繰り返し食べるとやみつきになるのか??期待はあっさり裏切られ、相変わらずの衝撃度。まさか、食事後にご飯を頼むわけにも行かず…。やはり泥縄式に一日でまとめ食いしてもダメなのだろう。かなり塩分過多の1日であった。

…とか書いてしまうところが既にやみつきの兆候なのか。恐るべし、元祖富山ブラック。

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アメリカの自動販売機

日本は自動販売機(以下自販機)、特に飲料のそれが異常に多く設置されているということで、何かにつけて外国と比較されることが多い。人の目の届かないところにも平気で設置されていることから、日本の治安の良さをアピールする際にも引き合いに出されたりする。先の震災で電力不足が深刻になったとき、某都知事がこれを電気喰いの最たるモノとしてやり玉に挙げていたのは記憶に新しい。でも、実際最近の日本の自販機は高度に効率化されていて、台数こそ多いがそれほど電力事情を圧迫しているわけでもないらしく、都知事の舌鋒もなにやらトーンダウンした感があったりもした。

もちろんそんな自販機大国日本ほどではないが、アメリカでも飲料の自販機が増えてきたように感じる。複数の商品が選べる自販機はアメリカで発明されたそうなので、日本が先輩面するのはおこがましいのかも知れない。が、その造りというかメンテナンスの悪さというか、殆ど最悪だ。

ホテルの階毎にある製氷機の脇に○○・コーラ社や○○○・コーラ社の自販機が設置してある事が多くなったが、私が経験しているだけでも3回はクォーターをタダで巻き上げられ(そうになっ)た。コインを入れてもカウントされないなどまだ良い方で、投入口から中に落ちないでそこに留まってしまうようなものまで。不用意にコインを入れてしまって、反応しないので中を覗くと、前の人が入れたコインも含めて何枚か詰まっているとか。先日泊まったラスベガスのホテルでは、投入しても動かないので、思い切り蹴飛ばしたら何とか下にリターンしたからまだ救いがある。誰もいない場所だったから良かったが、人の目があるところでは蹴飛ばすわけにも行かず。かと言ってクォーター一枚で大騒ぎするのも面倒だし。

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そう言う経験をすると、日本の自販機の性能の良さを改めて実感する。かつてはあったかも知れないが、最近は誤作動で商品が出てこない事など殆どない。おそらく、アメリカに比べたら一台あたりの利用率も桁違いに多いし、それに設置台数を掛けた利用数など比べるべくもないのに、だ。

もっとも、造られた直後はちゃんと動作していたのだろうから、その性能を維持できない設計や不具合が出たときにき元に戻すためのメンテナンスがきちんとルーティーン化されていないなど、どこか一箇所の問題と言うより、総合的なシステムがちゃんと機能していないためのように思える。とにかく、たまに行くアメリカで、しかもたまにしか使わない自販機でさえそんな状況だから、そのダメさ加減はかなりのものだと思われる。

6月にフロリダのOrlandoに仕事で行った際、一日時間が出来たのでケネディ宇宙センターに行ってみた。発射台に設置された退役直前の最後のスペースシャトル、アトランティスも感慨深いモノがあったが、一番感動したのは建造されたものの政府の方針転換で打ち上げられなかったアポロ18号だった。横倒しに展示された巨大なサターンV型ロケットを見ると、これを40年も前に飛ばして人間を月に送り届けた技術力や、それを運用したシステムの完成度にただただ驚くばかりだった。

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どうして40年以上前にそんな事を為し遂げた国が、自販機をまともに運用できないのかと、比較の対象が間違っていることは分かりつつも不思議でならない。
不思議(な国)だ…、実に。

自販機の管理がすごいレベルで実現できていても、まだ有人宇宙飛行は出来ていないのが日本なわけで、そう考えると自販機制御の技術の延長は「はやぶさ」のように細かい制御を地道にやって達成する偉業に繋がるのかと、変に納得したりして。

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Sinn 656

時計の話しその2

モンブリランを買ってから数年後、Sinn656と言う超耐磁時計を手に入れた。ドイツのSinnブランドは知ってはいたが、元々それ程興味があったわけではなかった。が、モンブリランを買って以来懇意にしてもらっている田舎の時計屋の紹介でカタログを眺めるようになった。

ダイバーズウォッチが有名で、ドラマ「海猿」ではヒロインが時計をプレゼントするシーンに使われていた。が、元々ダイバーズウォッチに興味はなく、何となく眺めている程度だったのだが…。

その中に超耐磁時計というキャプションの付いた時計があった。仕事柄、身近に強力な磁石が転がっている事が多く、機械式時計を着けている時は必要以上に神経質にならざるをえなかったのだが、これならどうだろうと思ったのがきっかけだった。656、756、856とシリーズ化されたもので、中でもシンプルな文字盤と手頃な価格の656が気に入ってしまった。

で、しばらくして例によって例の時計屋で購入。使い始めて気付いたのだが、耐磁性能は別にどうでも良かったかも知れない。そもそも、モンブリランでも気を付けていたとは言え、磁石の影響で実使用上問題になるような精度の変化は感じられなかったので、耐磁性能が普通でも支障はなかったのだ。それより、シンプルでスッキリした文字盤は時計という機能に徹した感じがして未だに気に入っている。

「このデザインならIWCでしょう」と言われることが多いが、いかにもドイツ製らしい質実剛健な佇まいはIWCの線の細い感じとは違う趣があるのだ。

シリーズの756、856との比較だが、結局は文字盤のバランスが一番の決め手だったと思う。クロノグラフ付きの756も24時間針付きの856もそれぞれ最外形が39.5mm、40mmと656の38.5mmより大型だし、何よりも文字盤が656を見てしまうと他のモデルは何となく取って付けたような感じがしてしまうのだ。もちろん、それぞれを単独で見ればそれなりに美しい文字盤なのだろうが、あくまでも656のシンプルさが強烈だったという事だと思う。

ブレスも付けてもらって普段使い倒している。モンブリランと半々くらいか。最近ではネクタイを着用するような場面ではモンブリランを、そうでない時は656だったりする。モンブリランがタイ着用時にふさわしいかどうかは別として…。

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4時と5時の間にデイトが付いているが、これがまた小さくて老眼が進みつつある目には殆ど使い物にならない。もっとも時計のデイトを見て日付を確かめる習慣はないので、見えなくても良いのだが、停めしまうと次に時刻合わせするときに面倒だ。どうせ見ないのだから何日を示していようと関係ないのだが、それでも日付が合っていないのは気持ちが悪い。モンブリランを着けて出張などに出れば、戻る頃には確実に停まっているので、巻き上げ機を買おうかなどと思っているこの頃だったりする。

ところで656は少し前にゼンマイ切れになってしまった。ゼンマイ切れと言っても、放っておいて止まったと言うことではなく、文字通り切れてしまったのだ。例によって何日か使わないでいる間に止まってしまったので、手で巻き上げていたのだが、その途中で「ジャ」と言う聞き慣れない音がしたと思ったら、以降どんなにリューズを回しても秒針は止まったままになってしまった。

慌てて時計屋に連絡したら、症状からして間違いなくゼンマイ切れだとのことで、修理を依頼することになった。依頼直後に震災があったりして、結局帰ってきたのはひと月半くらい経ってからだ。当たり前だが、何事もなく動いている。ゼンマイは消耗品だと言うので、仕方ないかも知れないが、手で頻繁に巻き上げる事をしなければもっと長持ちしたかも知れないと思うと、余計に巻き上げ機が欲しくなったりする。

その656もとうとう生産終了だとかで、限定の白文字盤の紹介を受けたりするようになった。白文字盤…、しかも全体が蓄光。実は去年556の限定モデル(うすクリーム色の文字盤)を衝動買いしてしまったので、さすがにこれは手を出しにくい…。この556の話はまた後で。

656、756、856のシリーズで656だけがケースにテギメント加工がされていない。Sinnは明確に言ってはいないが、どう見てもシリーズなのに何故656だけが別仕様なのかは謎だ。もっともテギメント加工すると、若干色味が変わって黄色っぽく見えるらしいので、素のままのシルバーの方が綺麗ではある。

職場でもこの656を絶賛する人が若干2名。私に買われなければ自分でも買っていたはずだと言ってはばからない。別に同じの買っても気にしないよと言っているが、本人たちにとっては微妙な感じらしい(笑)。

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信号のない横断歩道

道路交通法では信号のない横断歩道で横断者がいた場合は一時停止して渡らせなければならないことになっている。のだが、殆どのドライバーが停まっていないのが実情だと思う。

これがアメリカだと全く状況が異なるのに驚かされる。かの国も日本の道交法と同じように横断者保護の規則があるらしいが、こちらはとてもよく守られていて行くたびに感心させられる。日本の感覚で横断歩道手前でクルマが途切れるのを待とうとすると、必ずクルマの方が停まってくれる。最初は自分を渡らせるために停まってくれたことが分からずにぼうっとしてしまった。ちょっとでも道路を渡るそぶりを見せたら停まってくれるのだ。

クルマで通勤するときに通る道に、近所の大きな住宅地から駅に向かうちょっとした裏道が横切るところがあって、信号のない横断歩道になっている。当然歩行者が待っていても誰も停まらない。で、試しに停まってみた。

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ケース1:停まっても歩行者が譲ってもらっていることに気づかない。

ケース2:自分が停まっても対向車が一向に停まらず、歩行者も渡れない。

ケース3:ケース1と2で停まっているうちに、後続車からクラクションを鳴らされる。

1と2は何となく予想された状況で、このルールがいかに知られていないかを再確認した。しかし、3に至っては、さすがに何をか言わんやだ。横断する人がいることは見れば分かる状況だ。つまり、ルールを知っていれば何故前のクルマが停まっているのか分かる状況なわけだが、この場合後ろのドライバーはそれさえ知らないと言う事だ。これはやっぱり問題だろう。何となく予想できる状況だったことも悲しい。

踏切の一時停止は結構厳しく言われている日本だが、近年の鉄道システムにおいて遮断機のある踏切で一時停止する意味は殆どなくなっている。それでもたまに踏切の先の物陰に潜んで一時停止無視の取り締まりをやっているのを見かける。そんな取り締まりのための取り締まりみたいなことをやるくらいなら、横断歩道の歩行者保護の取り締まりでもやったらどうか?殆どのドライバーにとって有名無実となっているばかりか、そもそも知らないドライバーもいるらしいこのルールを周知させるためにも踏切よりは意味があると思う。

翻って、世界的にはどうなのだろう?ヨーロッパの街を歩いていて、アメリカのような扱いを受けた覚えはあまりないので、どちらかというとアメリカの徹底ぶりが世界的には特殊なのかも知れない。前にトリノで仕事をしたとき、アメリカ人が運転するクルマで市内を走り回ったことがあった。前のクルマが狭い路地を渡ろうとした歩行者と微妙なタイミングですれ違い、その

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ときにクラクションを鳴らしていた。それを見たアメリカ人ドライバーは猛然と前のクルマを追いかけ、クラクションを浴びせかけた。そのクルマが路肩に寄せると、ブロックするようにこちらも停まり、助手席の窓を開けて大声で怒鳴っていた。歩行者を優先しなかったばかりか、にクラクションを鳴らすとはなにごとかと。お互いにクルマを降りてつかみ合いになりそうな雰囲気に焦ったが、何とか事なきを得てほっとしたのを覚えている。

相手はイタリア人で、それぞれの言葉で怒鳴り合っていたが、お互いに何でそうなっているのかは理解していたようだ。しかし、他国に行ってまで自国のマナーを主張しようとするアメリカ人は、ある意味面白い。まぁ、しかし、行動の極端さは別にして言っていることは正しいのだ。

日本の歩行者もすでにこのルールで自分が優先だなどとは思っていないので、それはそれで安全な方向にあるのだとは思う。だがアメリカのそれを見るにつけ、日本のドライバーのお寒いマナー意識にげんなりさせられるのだ。

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ナビタイマーモンブリラン

少し前に送られてきたブライトリングの会員誌。最近のブライトリングにはあまり興味も無かったので、いつもはざっと目を通す程度なのだが、今回はある記事が気になった。

ナビタイマーモンブリラン(Navitimer Montbrillant)の現行モデルが終了になり、機械も自社開発に変わって最大経も2mmアップの40mmになるんだとか。う~む…。

ブライトリングが今のように有名になる少し前、知人2人(全く別々の知り合いでお互いに面識なし)がそれぞれ使っていたナビタイマーを見て興味をもった。ブライトリングが主張する「計器」としての時計を具現化するとこうなる…とでも言いたげな精密な目盛りと計算尺があしらわれた文字盤にすっかり魅せられてしまった。

しばらくして田舎の老舗時計屋に行ったときに分厚いカタログをもらい、穴が開くほど眺めた結果、俄然モンブリランを気に入ってしまった。そもそも外形42mmのナビタイマーはそれ程体が大きくない自分には少しゴツ過ぎると思っていたので、ナビタイマーの見た目と機能を一回り小振りのケースに収めたモンブリランは、自分の求めるものの全てがそこに凝縮されているようにさえ思えたのだ。何より小振り故に更に精緻さが増したように見えた。

ほどなくしてモンブリランSSのシルバー文字盤をその老舗時計屋から手に入れた。文字盤の色は黒かシルバーかでだいぶ悩んだが、自分が求める精緻さはシルバーの方がより鮮明に感じられたし、なにより長く使うにはシルバーの方が飽きが来ないですよと言う時計屋のアドバイスに従ってシルバーにしたのだった。今でもその判断は正しかったと思っている。何しろ、飽きるどころか未だ着けるたびに新鮮な気持ちになれるのだから。

その後モンブリランのベースモデルはデイトが追加されたりしたのだが、基本的仕様は変わらなかった。しかし、ついに自社開発の機械への変更でサイズアップになるらしい。2mmのサイズアップがどの程度の影響があるのか分からないが、何となく残念な気がする。

モンブリランは意外にもテレビドラマで女優が着けているケースが多かった。恐らく女性、つまりそれほど体の大きくない人にちょうど良い38mmと言うサイズと、その見た目のイメージからだと思われる。もっとも、自分が持っているからこそ気付いたのかも知れないが、私が知っている限りでは、「救命病棟24時」の松嶋菜々子、「OLにっぽん」の観月ありさ、「BOSS」の天海祐希…。(いずれもシルバー)

皆さん女性では大柄な人たちだし、役柄も社会で活躍する女性。いわゆる女性用のサイズとデザインの時計ではその役柄に合わず、かといってナビタイマーでは大きすぎる。そう考えるとモンブリラン以外の選択肢はなかったのかも知れない。

女優ではないが、先日出席した結婚披露宴にウェディングコーディネータとして来ていた同郷の女性もデイト付きのモンブリラン(シルバー)を着けていた。近くに来るたびに時計が気になっていたのだが、やはりモンブリランと判明。会場を飛び回り、テキパキとパーティーの進行を仕切る姿によく似合っていた。

ケースサイズ38mmのモンブリランはそう言う意味でも多くの時計の中で貴重な存在だったし、複雑な機械がコンパクトにまとまった「ちょうど良い」加減を求めるユーザーにとってまさにちょうど良かったのだ。ケースサイズが40mmにアップしたら、彼女たちの腕に着けられる役が回ってくるのだろうか。モンブリランがちょうど良かったユーザーはこれからどこに行けばいいのだろうか。今回のモデルチェンジが微妙な感じがするのは私だけではないだろう。

最近のブライトリングは何となく違う方向に向かって全力疾走しているように思えてならない。自社開発のムーブメントを主力モデルに搭載すると言う意味はわかる。が、今更と言う気もしないでもない。価格戦略も含めて付いていけないと言うのが正直な気持ちだ。もっとも、最近の多くの愛好者がそれを求めているのなら仕方のない事かも知れないが。

38mm版が終了になるから今のうちにもう一個などという話も聞くが、かと言って最近のブライトリングの値付けではおいそれと買い置きに手が出せるものではないので、デイトなしのもしかしたら希少な手持ちのSSを大事に使って行く事にしよう。

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写真は手持ちのナビタイマーモンブリランSSシルバー。普段の仕事中もかなりの頻度で使用中。何度か定期OHを実施。ケースのポリッシュをして新品同様になった後数年経過。不具合は特になし。クロノグラフのボタンをパンツのポケットに引っかけて紛失しての修理が一回。OH後巻き上げクラッチの不具合で再調整一回。不注意で文字盤のガラスに傷を付けてしまったのと、シルバーの文字盤の中央が日焼けして変色してきたのが変化と言えば変化。

一度日焼けを何とか出来ないか相談した事もあるが、現行品がデイト付きになっていることから、無理だと言われてしまった。その時は深く考えなかったが、サービスパーツはあるだろうから、まるで無理という事もないだろう。ウェディングコーディネータの彼女のモンブリランは当然日焼けなどしていなかった。腕を並べて比べたときに、明らかに彼女のものの方が綺麗に見えた。一方で、日焼けもまだらに焼けているわけではないので、ある意味味が出てきたとも言える。もう一度交換に挑戦しようか、それとも味としてこのまま使い続けるか、少しだけ悩むところではある。

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大地震

「未曾有の大惨事」
あってはならない事だが、良く耳にする言葉だった事も事実。しかし、今回の東日本大震災を形容するなら、この言葉しかないだろう。

まさに悪夢としか言いようがない。悪夢ならまだしも現実に起こってしまった事だ。押し寄せる津波に流される建物やクルマ。まるでおもちゃのクルマを洗濯機に入れて回しているようで、馬鹿げたCGでも見ているかのようだった。洪水で家が流される映像を見た事はあったが、全く比較にならない。改めて津波の恐ろしさとその破壊力を見せつけられた気がした。同時に、木造家屋が全く無力である事も思い知らされた。

町がまるごと消え去り、まさに瓦礫の山と化した惨状は、現実のものとは思えない。地区行政の中枢もろとも壊滅した事で、状況不明者が一万人単位で出ているとの報道も。最終的な被害は一体いかほどの事になるのやら。しかも、災害の全容らしきものが分かっているのはテレビで報道を見ている我々のほうで、被災した人たちは一体何が起こったのか分かっていないのかも知れない。

今の段階で復興の事は考えられないのかも知れないが、一体元に戻せるのか、それにどれくらいかかるのか、想像も出来ない。大揺れしたとは言え、電車が止まる程度で殆ど被害がなかった東京にいて、我々は何をすべきなのだろうか…。首相が、我々日本人は必ずこの危機を乗り切ることが出来ると確信していると言っていたが、まさにその通り。過去、幾多の困難を乗り越えてきた日本人として、素早い復興で世界をあっと言わせるくらいの気概と矜持をもって臨みたいものだ。

しかし、これが東京で起こったらどうなるのだろうか。建物の耐震化は進んでいても、これだけの大津波には殆ど無力だと思われる。首都圏は今回の地震を貴重な教訓として何をすべきか考えるべきだろう。

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